ふっと視界に入ったのは白い天井だった。病院だろうか。夢とリンクしているようで少
し恐怖を覚えたが体を起こしてほっとした。細く硬い男の体。自分の体に相違なかった。
「どれぐらい経ったんだ?」
 外を見ても相変わらず暗い空が広がっているだけだ。と、扉がふっと開いた。そこから
顔を覗かせたのは、自分とよく似た顔立ちでなく、胡桃色の髪を持つ女でもなく、砂色の
髪を持つよく見知った顔だった。
「姉貴」
 そう呼ぶとにっと明るく笑みを浮かべて後ろ手に扉を閉めて備え付けられた椅子に腰を
かけた。
「耳鳴りがしたか」
「ああ」
 その問に頷くと凛の顔が一瞬で曇った。何かがあったなと思って顔を引き締めると口に
しにくそうに凛は口を開いた。
「今、会のほうで修復途中だが、遂に空間に歪が生まれた。お前達の耳鳴りは、そのせい
だ。お前達を追うのはもう、完全にそれ所ではなくなったために無罪放免。替わりに妖を
滅ぼそうとする過激派が現れて、てんわやんわだ」
「あーあ。で、俺は?」
 仮にも倒れておきたばかりなのに、呆れたように肩をすくめてそういう彼に凛はよく出
来たやつだと内心、舌を巻いた。昌也ならば、この立場を利用して休もうとするに違いな
い。と、同時にそこが兄弟の違いだなと思った。
「会長直属命令だ。歪を修復しろ。もう何人も霊力不足で死んでる」
「りょーかい。んで、夕香は?」
「あー、お狐ちゃんになって人の運搬」
「あっそ、今から行った方が良いのか」
「ああ、出来るなら」
 頷いて立ち上がると体に不思議な活力が満ちているのを感じた。空狐としての能力か、
犬神の力なのかはわからなかったが暴走させるのはまずそうだなと深呼吸をした。
「夕香のほうは人足りてるのか」
 その言葉に凛は溜め息をついた。肩をすくめて顔をしかめている辺りから足りないらし
い。
「犬神出しておく。制御におかないからどうにかしろよ」
 腕の一振りで人三人は乗れそうな犬神を出してその鼻面を撫でて凛の命令を聞くように
という命令を下して病院を出ていった。
 外はひどく、歪から出てきた妖が人に結構な悪さをしていた。些細な事だとすれば、躓
かせたり転ばせたり、大きなことになりそうなのは老人で遊んでいるサルのような妖がい
た。
 妖も人も千差万別だ。とりあえずいたずらをしている小妖を見えた分だけ祓って現場に
向かった。近づくにつれて邪気と妖気と陰気が濃くなっていく。
「都軌」
 呼ばれて振り返ると、異界任務のときにやたらと絡んできた先輩がいた。内心苦い顔を
すると近寄った。
「何でしょうか」
 身長差がなくなったなと思いつつ目を見るとかなり驚いた顔をしている。何故だろうと
辺りを見回すと自分の周りだけ空気が浄化されている。
「お前、どんな術使ったんだ?」
「さあ。俺にもわかりません。言うならば、体質でしょうね。というより、急がなくてい
いですか?」
「霊力不足でお休み中。お前は何で今頃」
「歪開いた衝撃の耳鳴りでダウン。今から休んでいた分取り返しに行ってきます」
 それだけ言うとその場所に急いだ。行く途中何人も倒れている同業者に出会った。町の
商店街の一角だったが、陰気に満ち溢れて翳っていた。神道だけを強要しているのではな
い会ゆえに、集まった人々がそれぞれの太陽神に祈りをささげている。
 月夜は溜め息をついて開いた穴に手をかざした。驚いたように祈りをささげていた人々
が月夜を見る。静寂が支配したそのときだった。
「……っ」
 その空間を塞ぐように拳を握ったとたん、その穴がふさがった。ただ月夜の霊力が網の
ようにその穴に絡みつき、周りの空間をよじり集め結合しただけだった。
「ほかにないのか」
 聞くといろいろなところを指し示された。舌打ちをして式符を使って何人かの式神にそ
の修復を命じて一番大きそうな穴に向かった。
「月夜」
 聞きなれた声に横を見ると並走するように狐の姿の夕香がいた。いちど地面を蹴って夕
香に飛び乗ると夕香の足が速くなった。
「霊力かわったね」
「だろうな。体の感じが違う。術の入り方も強くなった」
「そう」
 行き先が一緒だったらしい。先ほどの商店街よりも大きい穴がそこにあった。
「なにこれ」
 月夜を下ろし人の姿に戻った夕香が呻く。月夜は来なければ良かったと頭を抱えている。
「藺藤くん?」
 反応して振り向くと知った顔ではない人がこちらを見ていた。男だが、声の感じが男で
はない。また変なのに絡まれたと顔をしかめると納得したように男が手を叩いた。
「ああ、ごめん、ごめん。顔変えてたね」
 腕の一振りで顔を変化させたその顔に見覚えがあった。驚いて目を見開くと夕香の高い
声が聞こえた。
「嘘、夕実?」
「久しぶり、だね」
 男に間違うようなハスキーな声に勝気そうな笑顔。間違いなく、中学時代の月夜と夕香
の同窓生の夕実に間違いなかった。また、術者の学校でも一緒で夕香と一緒に問題を起こ
し教官などの頭を悩まさせていたバカコンビの一人でもあった。
「久しぶりじゃん、こんなとこで再会してもねえ」
「まあね、て、ちょっと、あんた、藺藤君とくっついちゃってるわけ?」
 その言葉に二人で目を合わせて苦笑した。本当に自然な動作だった。
「まあね」
「もー。またのろけてー。奥手な二人だからどうせキスどまりなんでしょー? もうすぐ
高校卒業なんだからー」
「何言ってんのよ。このバカっ」
 言わんとしている事に気づいて夕香が真っ赤になって手をばたばたさせている。月夜は
咳払いをして緊張感のないやり取りに溜め息をついた。
「なんだよー、二人とも、照れちゃって。なに、最中思い出しちゃった?」
「んなわけないだろ。今は仕事だ」
 それだけ告げると穴に目を向けた。異界が見えてしまっている。常人が見てしまえば魅
入られるであろう異界の姿。人の心によって形を変えるらしいその姿は、月夜には薄野原
にみえた。
「一気に閉じる。人をどかしてくれ。この穴は任せろ」
 それだけを言うと穴に真正面から対峙した。何人かが物言いたそうに口を開いたが月夜
の一瞥で黙った。
「雰囲気違うね」
「お仕事モードだからでしょ。そうそう、ソノコトでいじるなら嵐にしてあげてね。面白
いから」
「あちゃ、また誰と」
「莉那。もう結構深いところまでえぐったみたいよ?」
「うわ、その言い方って露骨過ぎるって」
「そう?」
 にっこりと笑って小首を傾げる夕香にバカだけどやっぱり狐なんだと実感する夕実だっ
た。
「ほか、大きいところはどこだ?」
「え、もう塞いだの?」
「こんなの楽勝てことね」
「まあな」
 静かにたたずむ月夜は何処か違って見える。落ち着いた雰囲気をあたりに振りまいてい
るのはいつもの事であるのだがそれよりも、何処か荘厳な雰囲気というか重い雰囲気を振
りまいているように思う。夕香は月夜をじっと見つめながらそう思って首を傾げた。
「どうした?」
 その言葉にはっと我に返って首を振ると目を伏せた。
「どうした。なんか?」
「ううん。なんか、前より雰囲気重いなって思っただけ」
 その言葉に不思議そうに首を傾げた月夜だったが、肩をすくめて溜め息をついた。
「まあ、そうだろうな。説明するの面倒だから後でな」
「? どういうこと?」
「まあ、なんだかんだがあったんだよ」
 そういうと軽く地面を蹴って手短にあった電柱の上に跳びのった。人間業ではない事は
確かだ。
 
 
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